八代で被災して見えた関係性の価値―「向こう三軒両隣」の力

八代で被災して見えた関係性の価値―「向こう三軒両隣」の力
社会と未来
2026/10/16
特集
2026年7月28日に発生した令和8年熊本地震。
八代(やつしろ)市で被災した筆者は、今回の経験から、「地域」や「支援」、そして身近な人との関わりについて改めて見つめ直しました。

自然災害は突然起こります。
そのとき、自分にできることは何か。そして、身近な人とのつながりは、どのような意味を持つのか。

被災後の2か月を振り返りながら、いざというときに力となる「関係性」について考えます。

(文:D-OMNi編集部)

はじめに

令和8年7月28日午後4時27分。

自宅のある熊本県八代市の駅のホームで新幹線を待っていた私を、ドーンという大きな音と、体を支えられないほどの激しい横揺れが襲いました。
揺れは数十秒ほど続きました。そのわずかな時間で、さっきまで当たり前だった暮らしのすべてが、大きく変わることになりました。

私は故郷の水俣市役所に25年間勤務した後、2024年に独立し、現在はプロコーチ、そして自治体職員研修の講師として活動しています。
本稿では、被災地に暮らす者としてこの2か月を過ごす中で気付いたことを、元自治体職員、そしてコーチ・研修講師としての視点からお伝えします。

1.2か月がたった被災地

今回の地震はマグニチュード7.1、宇城(うき)市と氷川町(ひかわちょう)で最大震度7を観測し、八代市でも震度6強を記録しました。
熊本県の発表(9月25日時点)では、死者38名、住家被害は71,518棟にのぼります。

熊本では10年前の平成28年4月にも、益城町(ましきまち)で震度7を2度観測する地震がありました。
ただ、当時の私は、自宅のある八代でも、勤務先の水俣でも、直接の被害をほとんど受けておらず、今回が当事者として経験する初めての大地震でした。

発災から2か月。

主要インフラの復旧が進む一方、震災の影響は長期化の様相を呈しています。

上水道の断水は解消されたものの、井戸水を使う世帯が多い八代市では、約4,400世帯の井戸が被害を受け、依然として復旧が追いついていません。
また、私の自宅周辺には倒壊した家屋が今も手つかずのまま残っています。


自宅周辺で倒壊した家屋(筆者撮影)

大きく傾き、瓦などが崩れ落ちた家屋(筆者撮影)

道路沿いにも残る被災した家屋(筆者撮影)

2.目の前のことしか見えなかった

自宅マンションは大きな被害こそなかったものの、室内は荒れ、水道・ガス・電気もすべて止まりました。

私は1か月間、水俣市の実家に身を寄せながら、空いた時間に片道50㎞かけて、自宅の片付けに通う日々を送りました。
そうしたなかで特に堪えたのは、この夏の猛暑でした。
水も電気も来ない部屋での作業に、体力も気力も削られていきました。

そんな中、私が所属する熊本市内の経営者団体では、発災直後から支援を始めました。
その様子に、自分も役に立ちたいと思う一方、自宅の片付けや仕事の調整など目の前のことしか考えられず、罪悪感を抱いていました。

私と同じく、日頃から人を支援する立場にあり、自身も被災した方の中には、同様の思いを抱えた方も少なからずいらっしゃったのではないでしょうか。
今思えば、人として自然なことだと思います。しかし、当時の私にとっては、最も心を苦しめたことでした。

私は日頃、コーチとして「全体を見る」「客観的に見る」ことの大切さをお伝えしています。
しかし、危機の渦中ではそれが非常に難しく、そこにいる方々に軽々しく言えることではない。そのことを身をもって知りました。

こうした状況の中で、私の心の支えとなったものがありました。

3.エレベーターのあいさつから始まった繋がり

それが、同じマンションの住人の方々との会話でした。

それまでの付き合いは、時折あいさつを交わしたり、エレベーターで世間話を二言三言交わす程度でしたが、発災後は、顔を合わせるたびに自然とお互いの状況を話すようになりました。
「電気はどうですか?」、「今日は水出ていますか?」、「何か必要なものはありますか?」
避難している人、自室で過ごしている人、それぞれが誰に頼まれた訳でもなく情報を伝え合い、気付けば電話番号を交換していました。

そして、同じ境遇の人と話せることで「自分だけではない」という安心感に救われました。

また、マンションには、避難所や物資の配布場所まで行くことが難しい高齢の方もおられました。
「○○号室の△△さん、水や食料が足りないみたいだけど、近くに家族もいないし…」
特に役割分担を決めた訳ではありませんが、会話の中で「それなら私が」と申し出る方があらわれたり、避難所や救援物資の状況を伝えあったりと、今、自分にできることを行うという動きが自然に起きていました。
実際に私も、安否確認も兼ねて物資をお届けしました。

「貢献できることは身近な関係の中にもある」そう気付いたのが、このときでした。

4.支援は速い、しかし届かない

日を追うにつれ、SNSなどを通じて被災地の外の動きも見えてきました。

まず実感したのは、民間企業や団体の動きの速さです。
こうした支援は地震の翌日には始まり、行政よりも格段に早いものでした。

ところが、その支援を必要なところへ届ける「交通整理役」が見当たりません。
ルートは現地の知人頼みとなり、支援の濃淡が生じる様子も目にしました。

私自身、団体の仲間から「支援物資がたくさん届いている。必要としているところはないか」と声をかけてもらいました。
しかし、八代市内の企業や団体との繋がりが少ないうえ、被災地の中では情報も断片的にしか入らず、紹介できる先が見つかりませんでした。
支援の気持ちもまとまった物資もそこにあるのに、繋ぐ先が見えない。そんな経験をしました。

さらに、物資の集積所や避難所へ行けない方々にどう届けるかという、いわゆる「ラストワンマイル」の問題もありました。
私のマンションでは住人同士で補うことができましたが、そうした繋がりを持たない方には、誰が届けるのでしょうか。
発災初期の支援を行き届かせることの難しさを、私は今回初めて当事者として知りました。

また、SNSでは行政に対する不満の声も数多く目にしました。
元自治体職員として、職員自身も被災しながら対応に追われていること、そして近年の職員数の減少も容易に想像できる一方で、被災者の苛立ちや怒りも、同じ被災者として理解できました。

どちらの気持ちも分かるだけに、割り切れない思いが残りました。

言いたいことは分かる。
けれど、行政には実際に動けない部分もある。

行政に頼れない場合、特に発災初期に、自分たちにできることはないのか。
民間の素早い動きと行政の支援の間を埋めるものはないのか。
10年前の熊本でも、各地の大きな地震でも、同じことが起きていたのではないか。

そう考えるうちに、たどり着いたのが、自宅マンションで経験した隣近所との関係でした。

5.「地域」を問い直す―向こう三軒両隣

自治体職員だった頃、私は仕事柄「地域」「住民」「コミュニティ」という言葉を当たり前に使っていました。
そして「地域」といえば、自治会や町内会、校区といった単位を思い浮かべていました。

災害時、行政には支援が必要な人を把握する仕組みがあり、自主防災組織も自治会単位で整えられています。
いずれも欠かせません。

ただ、元職員の目から見ると、把握にはタイムラグが生じ、埋もれる人が出るおそれがあります。
発災直後のスピードでは、もっと小さな単位が力を持つはずです。

私が経験した範囲では、それが「お隣同士」「ご近所」、昔から言う「向こう三軒両隣」の関係、そして互いにできることを持ち寄る「お互い様」の対等な関係でした。

現在、生活スタイルの違いなどにより近所付き合いは希薄になりがちであり、昔のような関係を取り戻すのが難しいことも承知しています。

それでも、地域づくりの出発点は、こうした小さく対等な関係を一つひとつ築くことにあるのではないか。
今回の経験で、私の「地域」の捉え方は大きく改められました。

6.前提を手放す

自然災害が頻発し人手も揃わない今、行政や公的支援だけに頼るには限界があると言われています。
一方で、自治体職員だった私自身でさえ、どこかで災害対応は行政の仕事だと思っていました。

もちろん、行政が中心的な役割を担うのは言うまでもありません。
しかし、今、私達は、これまでの前提を手放し、「自分でできること」、「お願いしなければできないこと」に真剣に向き合わなければならないときに来ているのではないでしょうか。

「自分でできること」は、最悪の状況に陥っても、自分や家族が生き残り、生活を再建するために自ら備えることです。
水や食料の備蓄や避難先の検討など、東日本大震災以降、多くの人が実践しています。
私自身、自宅に備蓄があり、実家という身を寄せる先もあったことで救われました。

そして「お願いすること」。
これは、本当に支援が必要なときに、自ら助けを求めることだと思います。
断水が続き、給水所でもまだ制限があった頃、近くに住む長年の知人に井戸水を使わせてほしいと相談したところ、快く応じていただきました。

まずは何が自分でできるかを考え、そして何を人に頼る必要があるのか見極める。
当たり前のことではありますが、今回の経験を通して、その大切さを身をもって実感しました。

7.「関係性」という土台

もし、誰かに、今回の経験を通してどんな気付きを得たかと聞かれたら、私は迷わず、ご近所の方々との関係性が秘めた価値と答えます。

情報をもらう、水をもらう。
どちらも、お願いしなければなりません。
普段から顔を合わせる関係があってこそ成り立つものだと思います。

私は研修の場で、成果を出す職場の姿をスマートフォンの「OS(基盤=関係性)」と「アプリ(機能=仕組み)」に例えています。
アプリは、基盤となるOSがなければ動きません。

災害時も同じではないでしょうか。

行政の仕組みや自主防災組織、各地からの支援、今後検討すべき初期段階の交通整理も、いわばアプリです。
私は、それらが機能し、支援を一人ひとりに届けるためのOSが、「向こう三軒両隣」の関係性なのだと考えます。

また、研修では、人が声を上げられない理由の一つに「忙しい中で頼んだら邪魔だと思われる不安」もお伝えしています。
災害時も関係性があれば、この不安はぐっと小さくなります。
井戸水を使わせていただけたのも、同じ被災者であるマンションの住人に頼ることができたのも、関係性があったからでした。

こうした関係性は、普段の職場にも通じるのではないでしょうか。

マンションの方と話をしていたとき、ふと前職での経験を思い出しました。
私がある作業に追われていた際、同僚が何も言わず、私の担当業務を引き受けてくれたことがありました。
その逆もありました。
どちらも、ごく自然なことでした。
互いに動けたのは、普段から仕事の話や雑談を交わし、関係性ができていたからだと思います。

特別に深い付き合いがあったわけではありませんが、気軽に話せて、相手の状況が何となく理解できる。
そんな関係性でした。

コーチとしての私の仕事は、経営者の方々にとっての「話せる相手」になることです。
今回、被災した当事者として自分が支えられる側となり、その大切さを改めて実感しました。

危機の中で人を支えるのは、話せる相手がいること。
そしてそれは、エレベーターでのあいさつ程度の小さな関係からでも、始められるのだと思います。

おわりに

ここに記してきたことは、当たり前のこと、あるいは何度も議論されてきたことだと思います。
しかし、日々の忙しい生活の中では忘れてしまいがちです。

そこで、改めて皆様に一つだけ「問い」を置かせてください。

もしご自身がこうした状況に置かれたら、今の自分ならどうしますか。
そして、そのとき隣にいるのは誰ですか。

それは、家の隣でも、職場の隣の席でも同じかもしれません。
少しだけ立ち止まって、考えてみてはいかがでしょうか。

最後になりますが、今回このような貴重な機会をいただいた一般社団法人日本経営協会の関係者の皆様に、深く感謝申し上げますとともに、今回の地震で亡くなられた方々に心より哀悼の意を表しつつ、被災されたすべての方々の生活が一日も早く再建されることを願い、本稿の結びといたします。

この記事の執筆者


松山 圭介(まつやま けいすけ)


COACH INg x SIGHT(コーチ・インサイト) 代表
国際コーチング連盟アソシエイト認定コーチ(ICF ACC
共創コーチング® 共創コーチ®


熊本県水俣市出身。
1999年に水俣市役所入庁後、国際化支援、介護保険、政策企画、産業振興等の業務に従事。特に15年の経験を持つ産業振興業務では、市産業振興戦略の策定、企業誘致の実現、市内企業の市外進出支援制度の構築など地域の実情に則した施策を実施。
その経験から、仕組みや制度以前に、組織内の人間関係の構築が組織の成長を左右することを実感し、2024年に25年間勤務した市役所を退職し、プロコーチとして独立。
現在は、現役時代の経験を基に「課題を生まない対話のある組織をつくる」という信念のもと、エグゼクティブ/ビジネスコーチとして、また、行政の現場感覚に根ざした自治体研修の講師として活躍している。

キーワード:学び成長転機社会未来ライフ
連載名:特集
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