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開催説明会 記念講演要旨

2013年11月19日(火) ホテルグランドヒル市ヶ谷にて

「自治体総合フェア2014」の開催説明会とともに実施した、横須賀市長 吉田 雄人氏による記念講演は大変盛況でした。
以下はその講演内容の要約です。(文責:事務局)

記念講演
「発想の転換によるまちづくり」
横須賀市長
吉田 雄人 氏
田中 和明 氏

閉塞感を抱えながらの行政運営

 横須賀市が直面している現実に人口減少と少子高齢化というものがある。平成13年には生産年齢人口は70%近くあった。しかし、平成23年には62%くらいになっており、さらに平成33年には60%を切るだろうと言われている。その反面、老齢人口と言われる65歳以上の方々の人口は増えてくるので、当然、税収は減るし、社会保障費も増えてくるといった状況になる。人口規模も平成13年に43万人以上だったものが、20年後の平成33年には40万人を切るといったことが予測されている。
 財政もやはり厳しく、税収および国からの地方交付税は平成13年当時に比べ10年間で70億円近く減少している。国や県からも力を借りながら、減少した分を確保するために借金をして何とか財政運営を行っている。基幹的な収入ともいうべき税収が減少しているという状況である。さらに、高齢化に伴って当然、社会保障経費の増大というものが挙げられる。全体の予算額というのは1,300億円くらいで変わらないが、社会保障にかかる割合がほぼ倍近くに伸びている。そして、この倍近くに伸びた社会保障経費を行政のスリム化、人件費や新しい建設費経費等を削減する形で対応しているところである。
 この直面する厳しい現実の中で一生懸命やってはきているが、問題があまりにも大きくて手詰まり感や閉塞感を抱えながら行政運営をしなければならない状況である。だから、従来と同じやり方では抜本的な解決が難しく発想の転換が必要となる。

マイナスイメージを逆に活用する

◇横須賀のイメージは“基地の街”

 横須賀についてどのようなイメージを持っているかと一般の人たちに聞いてみると、“米軍”や“海”とか“海軍カレー”などがあるが、“基地”というイメージを持たれる方が多い。実際、横須賀市民に聞いてみても1位は“基地の街”であり85%近い市民がそう思っている。基地の街というと“治安が悪い”、“風紀が乱れている”といった印象があり、「住みにくい街なのではないか」、「住みたくない」と思ってしまい、マイナスのイメージがあった。『東京近郊で住みたくない街』を日経が調査したところ、この仮説を裏付けるように横須賀は8位であり、厚木も2位になっていた。
 厚木と言えばやはり厚木基地を思い浮かべてしまうのではないだろうか。そして、厚木基地というと騒音公害が多く、“マンションなども二重サッシにしなければならない”、“携帯電話も戦闘機の離発着の際には使えない”、“テレビも見られなくなる”といったことを聞いたことがあるかもしれない。しかし、実はこれは基地の街というイメージによるものなのだ、と私は捉えている。なぜならば、厚木基地というのは厚木市にはなく、大和と綾瀬の両市にまたがって存在している。つまり、厚木がこの調査で2位となっているのはおそらく厚木基地の持つマイナスイメージによるものだろう。同様に横須賀が入ってしまう理由も、同じように基地の街のイメージがそうさせているところがあるのではないだろうか。
 それでは、これまで基地のイメージについて横須賀市はどのように取り組んできたかというと、基地のイメージを払拭していこうというものであった。例えば、“広報誌に基地の写真や艦船が写り込んだような写真を使用するのを止めよう”とか、“旧海軍の歴史ある施設などを壊して建て替えてしまおう”といった具合に、基地のイメージを拭い去ろうといった取り組みを続けてきた。しかし、市民アンケートに見られるように基地の街のイメージを払拭することはできなかったのである。そうであれば、逆に横須賀と言えば基地と言われるように、横須賀の知名度を上げるような取り組みをしていくことも逆の手なのではないだろうか。横須賀の基地の街というイメージをひとつの都市資源として捉え、それをプラスのものとして活用していく、積極的にアピールしていく必要がある。つまり、1つ目の発想の転換としては基地の街のイメージを払拭するのではなく、活用していこうというものである。

◇ブランド化した『よこすか海軍カレー』

 横須賀と言えば海軍カレーだと思っていただけるのではないかと思う。なぜ横須賀が海軍カレー発祥の地と言われるのかというと、『海軍割烹術参考書』というものがあり、その中でカレーについて書かれている。洋上に出ていると野菜をなかなか採れず脚気になってしまうので、高木兼寛さんという海軍軍医が脚気を治すために野菜をたくさん採れるような料理としてイギリス海軍から採り入れたものであった。
 海軍カレーのブランド化にあたっては横須賀市だけが取り組みを進めたというわけではなく、海上自衛隊の横須賀中央総監部や民間の事業者である商工会議所の方々も一緒になって取り組んでいただいた。なぜ海上自衛隊の協力があったのかというと、横須賀市が海軍カレーという形で売りだす前から海上自衛隊の艦船では毎週金曜日にカレーが出されていたのである。艦船で洋上に出たり、潜水艦で潜ってしまうと曜日の感覚がなくなってしまうため、昼にカレーが出てくると金曜日になったんだという形で一週間を認識できるそうだ。だから、現在でも海上自衛隊の艦船では金曜日にカレーが出ており、しかも艦船ごとに秘伝のレシピがあって、艦船ごとの海軍カレーも売り出している。
 優秀な艦長が最初にやるべきことは優秀なコックを見つけてくることと言われており、食事が隊員の士気にも関わる。そして、カレーの味はその中で比べることのできるメニューということで腕によりをかけているのだが、それを我々は借りる形で海軍カレーをPRしている。基地の街、海軍がマイナスイメージだと思われていたが、敢えてこれをブランドとして立ち上げるために3者の協力を得て、発信をしていこうとしたのである。
 大手のメーカーもカレーパン、ドライカレーやカレーコロッケバーガーなどで参入していただいており、大手のメーカーに認めていただけるところまで成長したのではないだろうか。『よこすか海軍カレー』というロゴが入っていなければただのカレーパンやドライカレーだが、『よこすか海軍カレー』というブランドのイメージを付けることによって差別化できるのである。
 最初は15事業者で始めた横須賀市内のカレーの事業者部会が、現在は65事業者と4倍にまで跳ね上がっている。海軍カレーだけではなく、最近では“カレーラムネ”という飲み物や“カレーチョコレート”というものまであり、横須賀と言えばカレーなのだと思ってもらえるような商品を出していただける事業者が増えている。

◇予約で一杯の『YOKOSUKA軍港めぐり』

 横須賀には日米の艦船が停泊しており、地元では「なぜ横須賀だけが基地の負担をしなければいけないのか」と言われる方もおられるが、これもプラスに転じるために『YOKOSUKA軍港めぐり』といったクルーズを企画した。単にテープを流すわけではなく生で、バスガイドのような形で女性が軍港をガイドするといったクルーズを企画したところ、「横須賀でしか見られない」ということで大変な人気を博しており、今では週末は1カ月から2カ月先まで予約が一杯といった状況である。これも横須賀と言えば“軍港”といったイメージを払拭するのではなく、活用しようといった発想の転換である。最初、この企画を始めたときにはルートが制限水域という区域になっていたが、積極的なPR、市政100周年の事業として調整した結果、今では年間集客13万人という企画にまで成長し、経済効果は6億円である。
 この船を運航するのは横須賀市ではなく民間事業者で、この民間事業者が既に船を3艘購入しており、船員、ガイドなどの雇用創出にも役立っているところである。

◇米海軍レシピでつくる『ヨコスカネイビーバーガー』

 海軍カレーだけではなく、この軍港クルーズに来た方々をもう少し“おもてなし”するために新しいグルメブランドを立ち上げようということから、自衛隊だけではなく米海軍にも協力いただくことになった。米海軍基地司令官からレシピをいただき、そのレシピに基づいて『ヨコスカネイビーバーガー』というものを誕生させた。“100%ビーフでつなぎは使ってはいけない”とか“バンズは200g以上でなければならない”といったしっかりとしたレシピに基づいたブランド力を持つ『ヨコスカネイビーバーガー』は米海軍のイメージを払拭するのではないか、活用しようという観点から生まれたのである。
 そして、「うちでも提供させてほしい」といった依頼をいろいろなファミリーレストランなどから受けている。海軍カレーはレトルトで外でもどんどん売り出しているのだが、このバーガーは基地周辺限定で認めていこうとしている。そうすることによって、横須賀にわざわざ来ていただかないとならないので集客に繋がり、基地の街のイメージと一緒にバーガーに齧りついていただくことで、海軍カレーとは違ったこのバーガーを売り出していこうとしており、これまでに15万食出ている。

◇米軍基地開放イベント

 米海軍には基地解放のイベントをいろいろやっていただいている。春にはワシントンの桜を模したと言われる米海軍基地内の桜が鑑賞できる。夏には、米海軍から打ち上げ台船を貸りて花火を打ち上げるのだが、基地の中から花火を見ることができるので大変人気がある。さらに、秋になると『よこすかみこしパレード』を横須賀中央という地域で行うのだが、そのまま神輿が米海軍の基地内に入り、練り歩くのである。80基くらい神輿が参加するのだが、米海軍基地の神輿も1基参加しており、神輿の担ぎ方は荷物を運ぶような担ぎ方をしているが大変力強い担ぎ方である。このような基地開放のイベントには年間を通じて10万人以上の集客がある。“閉ざして見せない”という形ではなく、オープンにどんどん見せていくことにより集客にも活かしていくといったこれも発想の転換である。

◇好評の『夏の横須賀ドル旅まつり』

 もうひとつ今年の7月、8月に初めて実現した『夏の横須賀ドル旅まつり』を紹介する。取らぬ狸の皮算用と思われるかもしれないが、日本人が海外旅行に行って使わずに帰ってきた外貨は日本全国に1兆3,000億円くらいあると推計されている。そのうちアメリカドルが三分の一あったとすると3,300億円、さらにそのうちの三分の一が関東近県に眠っているとすれば1,100億円くらいになる。このお金を1%でも横須賀市で使っていただければ11億円くらいの経済効果となる。そこで、米海軍横須賀基地そして国際色豊かな街、横須賀でドルを使えるようにしようということでこうした皮算用をし、目がドルマークになりながらドル旅まつりを企画した。
 街なかで無料の英会話レッスンが受けられる<流しの英会話教室>や腕相撲大会、スタンプラリーなどといったいろいろな仕掛けを用意し、7月、8月の2カ月間、横須賀市内でドルが使用できるというキャンペーンを実施した。
 ドル旅まつりをやるまでは、「ドルが使えるだけで人が来るのか」とか「レートのトラブルは大丈夫なのか」といったいろいろな意見が出たのだが、「マイナスのイメージをプラスにするのだ」、「基地の街という都市資源を活用するのだ」という思いで、関係団体の皆さんが一致団結することによって実現できたのだと思っている。またドル旅ということで、軍港めぐりのクルーズは12ドル、記念艦「三笠」は5ドルといった具合に主要観光施設でもドルが使えるようにした。このようにドル旅のキャンペーンを行った結果、軍港めぐりで8,000人以上、「三笠」で4,000人以上の来場者増に繋がった。広告換算費でみると約2億2,700万円となり、これだけメディアに取り上げられたということで大変な成果だと考えている。

お金がないから諦めるのではなく集める工夫を

◇不育症や看護師離職防止に『いのちの基金』

 “お金がないから諦めるのではなく、集める工夫をしよう”というのが2つ目の発想の転換である。そのひとつの事例として『いのちの基金』という基金を立ち上げた。横須賀市の医療環境向上のために必要な財源を市民の皆さんから寄付していただき、それと同じ金額を市から出して、命を守る医療政策の財源として充当するとともに、一部は将来の医療のために積み立てるという形である。
 どのような事業に充てているかというとまず不育症治療である。不育症という言葉はあまり聞かれたことがないと思う。不妊症というのは赤ちゃんが欲しくてもできない病気、不育症というのは流産や死産を繰り返す病気のことであり、2回流産したらほぼ不育症と診断されるそうである。これまでは不育症という病気の名前を皆さんが知らなかったので、流産というと殆ど母親のせいにされていた。「子どもができてからも働いていたからいけないのよ」とか「あの時転んだから流産したのではないの」と母親がいわれのない批判を受けてきたが、そうではなくて病気なのだということを広く知っていただくためにも、敢えてこの『いのちの基金』で充当する助成金の対象として不育症治療を掲げたのである。治療を行えば8割は出産にこぎ付けることができる。ただ、治療方法は確立されているのだが、治療費用が高いということでこの『いのちの基金』を財源に助成をしている。
 看護師はどの病院でも不足していると言われているが横須賀市も例外ではない。看護師の離職防止のため、結婚や出産といった長い人生をイメージしていただけるように、新人の看護師さんを中心に研修を実施しており、その財源にもこの『いのちの基金』を充てている。
 3つ目が産婦人科の医師の確保である。4年前、市長に就任した時には産婦人科の医師は9人しかいなかった。妊婦さんはお産難民といった形で横浜、川崎の方までいかなければならなかった。しかし、何かあった時にたらいまわしといったことが起きかねないので、産婦人科の医師を雇ってくれた病院があれば上限780万円までの助成行うことにしたのである。
 この『いのちの基金』には昨年1年間で475万円集まり、市から同額を出して積立額は950万円、そのうちの一部は積み立てをさせていただいて700万円程度を助成させていただいた。この寄付額500万円弱を税金として納めていただこうとするとなかなか大変な金額なのだが、これを市民の皆さんから寄付いただけたということは大変ありがたいことだと考えている。
 数が少ないと思われるかもしれないが不育症治療費として3件助成したり、離職防止の研修は2回開催したり、産婦人科の医師は大幅に増加した。9人しかいなかったところが、このような取組みをしている横須賀市に医師を派遣したいという横浜市立大学から、1つの病院に7人くらいチームで派遣していただいて、結果として22人まで増えた。
 「社会福祉のために役立ててください」といった形で寄付をいただくこともあるのだが、「何に使われるのか分からない」というような声もあったので、充てるべき事業をはっきりさせてお金を集めればこれだけまとまった金額が集まるのだということを我々も学ばせていただいた。

ノウハウがないからできないではなくできる人の協力を

◇行政が全てやるのではなく民間の方々に力を借りる

 3つ目の事例が“ノウハウがないからできないということではなくて、ノウハウがある民間の方々に力を借りる”という発想の転換である。
 私が市長になる前の36年間にたくさんの箱物が作られたが、その1つに美術館がある。箱物を箱物として死なせるのではなく、生き物に変えていかなければならないだろう。そして、箱物を生き物にするためには行政が全てやるのではなく、民間の力を借りようということで美術館の改革に現在取り組んでいる。開館から丁度5年経っており、立地は大変素晴らしいと思っている。観音崎航路を目の前にして、後ろは緑溢れる山を背負って、眺めも良く雰囲気も素晴らしい。ただ建設に47億円、運営費もコストの部分だけで4.5億円となっており、市民からもいろいろ厳しい声をいただいている。そういった点からも行政がやっているだけでは駄目なのだということで、民間の団体と連携しながら教育施設という位置づけだけではなく、集客の機能も付加していこうということである。そのためには目玉となるような企画展をたくさん打っていこうということで民間の知恵を借り、昨年、世界を股にかけて活躍している人気ロックバンドL’Arc~en~Ciel(ラルクアンシエル)の20周年の記念企画展を開催した。美術館でL’Arc-en-Cielのライブの映像を流したり、ボーカリストのhydeさんが着ていた服や楽器を展示したりということで、「正直、横須賀になど来たことがない」、「美術館になど寄ったことがない」というような20代の若い女性とか40代くらいの女性まで、かなりたくさんの集客があり、美術館始まって以来の最高入場者数を記録することができた。ほかにも同じフレームでこれも音楽、ポップカルチャーということで70年代の日本のレコードのジャケットを展示したり、70年代の学生のすまいを再現したり、“POPEYE”など1975年生まれの私にとってはガラクタにしか見えないような展示物を展示したところ、50代、60代といった男性が多く来場し食い入るように見ていた。今までの美術館はどちらかというと間口は広く、でも人は少ない、だった。L’Arc~en~Cielもそうだったのだが間口は狭く、でもコアなファンが多いので必ず集客に繋がる、といった趣旨で特別展示を開催させていただいている。
 1つ今年の夏に開催したのが妖怪展で、夏休みに合わせて少し涼しくなろう、寒くなろう、といった企画展を行ったところ、ほかの2つの美術館、そごう美術館と三井記念美術館でも同時期に妖怪展が開催された。せっかく3つの美術館が同じ企画をやっているのであれば違いも楽しんで貰おうということで、“ほかの美術館のチケットの半券を2枚持って来ればもう1つの美術館は割引でみられる”とか、横須賀美術館の場合には“チケットの半券を2枚持って来れば軍港めぐりのチケットを渡す”といった仕掛けも作った。当然、そごう美術館も三井記念美術館も都心にあるわけで、その2つにきた方々を横須賀の美術館に呼込むという意味でもかなりプラスになったのではないかと思っている。こういった形で、この美術館もノウハウがないから何もやらないとか諦めてしまうとかではなくて、民間の力を借りて集客にも繋げるというような発想の転換を行った。

発想を転換して大きく前進

 以上述べてきたように、横須賀市では発想の展開を大事にしてきた。マイナスイメージを払拭しようとして思うようにいかなかったので、そのイメージを逆に利用するようにした。お金がないからと言ってあきらめるのではなく、なんとかお金を集める工夫に知恵を絞った。
 さらにノウハウがないからできないとあきらめていたことについても、民間の知恵を借りてなんとか実現を図ってきた。まさに発想の転換こそ大事なことなのだ。発想を転換するだけで大きく前進することができたと喜んでいるし、皆さんにも是非に、とお薦めしたい。

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