日本の“経営”を飛躍させたドラッカー教授の招聘
1957年(昭和32年)、「現代の経営」の著者で日本でも注目され始めていたニューヨーク大学のピーター・F・ドラッカー教授の招聘プロジェクトを立ち上げた。当時、日本にはドラッカー教授と親交を深めている人物はほとんどおらず、ゼロからの計画に等しかった。
国際郵便を何度も出し、“文字による出版よりも、肉声による教示を”と日本産業界の声を伝え、来日を訴えかけたが、丁寧な断りの返事が届くばかりであった。
最後に出した文面には、「新しい知識と技術を日本産業界に提供し、今後の発展に寄与するのが、われわれNOMAの義務であり、使命であると考えている。この度の招聘計画は、NOMAのためではなく、日本産業の経営者たちがドラッカー教授の来日を望んでいる。われわれの進むべき方向を示唆して欲しい」という強い想いを込めた。
こうして、ドラッカー教授の初来日が実現したのである。
経営の水平線
The Horizon of Management
1959年(昭和34年)7月3日から22日まで、講演やセミナーを通じて日本の企業経営者や学識者らと交流、科学的経営や企業理念の重要性を唱えた講話は、参加者に大きな衝撃と深い感銘をもたらした。奇しくもNOMA創立10周年の一大記念事業となった。
東京・大阪・名古屋での “経営の水平線”と題した特別講演会の参加者は2,000人を超え、その後、2回開催した3泊4日のトップマネジメントセミナーも各60人の満席となった。
これを機に、NOMAは「ビジネスシヨウ」だけでなく、「経営専門団体」としても極めて高い評価を受けることとなった。
経営近代化と日米親善への貢献から勲三等瑞宝章を受章
ドラッカー教授は50歳で初来日し、95歳で天寿を全うされた。
初来日時、教授がわが国経営に与えたインパクトは強烈で、“ドラッカーブーム”を巻き起こした。
その後、ドラッカー教授の招聘は8回におよび、講演・セミナーの参加者は延べ20,000人を超え、講演内容をまとめた書籍は50万部を超える刊行となった。
5回目の来日となる1966年(昭和41年)、ドラッカー教授の日本の産業経営の近代化と日米親善への多大な貢献に対し、勲三等瑞宝章が授与された。
ドラッカー×NOMA関連年表
1959年
- P.F.ドラッカー教授(アメリカ・ニューヨーク大学)を招聘
- 産経ホール(東京)、毎日ホール(大阪)公開
- 講演会を開催
- トップ・マネジメント・セミナー(箱根富士屋ホテル開催)
1960年
- P.F.ドラッカー教授2度目の来日
- ドラッカー・セミナー(大阪・東京・名古屋)
- ドラッカーと各界トップの昼食懇談会
- ドラッカー特別講演会
- ドラッカー学術講演会
1962年
- P.F.ドラッカー教授3度目の来日
- ドラッカー・セミナー(東京・大阪・名古屋)
- トップ昼食懇談会(東京)
- 学術講演(日本大学)
- 公開講演(東京・大阪・名古屋)
- 政府トップ公務員講演会
- 臨時行政調査会委員懇談会
1964年
- P.F.ドラッカー教授4度目の来日
- ドラッカー・セミナー(東京・大阪・名古屋)
- 公開講演会(東京・大阪・福岡)
- 昼食懇談会
1966年
- P.F.ドラッカー教授5度目の来日
- 日本政府から勲三等瑞宝章を贈られる
- 公開講演(東京・大阪・広島)
- トップ・マネジメントセミナー(全国)
1969年
- P.F.ドラッカー教授6度目の来日
- NOMA20周年記念事業
- 記念講演会
- コンピューター国際セミナー
- トップ・マネジメントセミナー
1972年
- P.F.ドラッカー教授7度目の来日
- 第44回ビジネスショウ記念経営講演会
- トップ・マネジメントセミナー公開講演会
1975年
- P.F.ドラッカー教授8回目の来日
- 第2回日本経営会議
- トップ・マネジメントセミナー